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山村楽女プロフィールタイトル

山村楽女 プロフィール

山村楽女プロフィール画像

来歴

1945年

三重県松阪市生まれる

1950年

中村流に入門

1952年

西川流に入門

1957年

志賀山伊三丸師に師事

1962年

名取(志賀山 碧)となる

1963年

聖心女子大学入学

1965年

フォンテボン大学(セントルイス市)へ編入

1967年

フォンテボン大学を卒業後、帰国
日本ヴィックス株式会社入社

1968年

三重県松阪市と鈴鹿市で日本舞踊を教える

1970年

セントヨゼフ女子学園非常勤講師に就任し、自宅で英語塾をはじめる

1975年

山村流に入門し、山村楽正師匠に師事

1977年

山村流の名取師範になる

1978年

三重県日本舞協会の発起人となり、書記長となる
同協会が主催する三重県邦舞会の実行委員を兼任

1988年

第一回「山村楽女 舞の会」を開催

2006年

三重県文化奨励賞受賞

2008年

山村楽正師匠が永眠

2009年

山村流宗家 三代目山村友五郎に師事

はじめに

私は1945年三重県松阪市に生まれました。
たまたま近所に踊りのお稽古場があり、5歳の時に母に連れられて入門しました。
中村流と聞いていますが、「雲にかけ橋」、「羽根の禿」などのお稽古をしていたことをうっすら覚えています。
私が7歳になった時にその師匠がお亡くなりになられて、後を引き継がれた西川流の師匠につきました。当時のお稽古場には同年代の子どもがたくさんいて、お稽古よりも皆と遊ぶのが楽しかったようです。
お祭りになると屋台でよく踊ったものでした。
12歳になると、志賀山伊三丸師匠に入門し、1969年には志賀山碧と名乗らさせて頂きました。
元々自分の意志で始めた踊りではなかったのですが、他のお稽古事は習ってもすぐにやめてしまうのに、踊りだけは幼少期から大学受験、アメリカ留学、就職を経て英語塾の仕事しながらも、ほとんど中断もせずにお稽古場へ通っていました。
山村流の舞台

そして、現在まで

そして、時が経ち1975年のことでした。
山村流の山村楽正師匠の舞台に魅了され、求めていた踊りのように感じて、大阪の師匠宅と名古屋の個人稽古にも通いました。 1977年には、楽正師匠の取立てで山村流名取師範になりました。 その後、東京、名古屋、大阪、京都と多くの舞台に出演させて頂き、松阪市では隔年に門弟と共に、「楽女舞の会」を主催しています。
時が経つにつれ、舞の素晴らしさが少しずつ分かるようになり、自分が習うだけでなく、他の人にも伝えていきたいという思いが強くなってきました。

私は踊りの血筋でもなく、舞一筋で生きてきたわけでもなく、ただ好きというだけで家元のお力添えを得ながら師匠をしています。
まだまだ勉強せねばならないことだらけですが、一人でも多くの方が私と一緒に本物の舞を探求して下さり、舞を通じて人生を豊かにしていただければと願っています。
山村流の紋章画像

山村楽正について

大正12年大阪市南の道頓堀に生まれ、4才の時に三世山村舞扇斎に入門、その後山村らく(通称蝦らく)の弟子となるが、昭和13年、らくの他界により四世山村若に師事した。
二本の扇を操りながら舞うなど扇使いに定評があり、毎日テレビの「素人名人会」の審査員としてお茶の間でも親しまれ、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、勲四等宝冠章を受賞。
2008年永眠。
[出典] 
国立劇場主催「舞の会」プログラム 出演者素描
山村楽女 舞の会パンフレット画像

山村楽女 舞の会

三重県松阪市新町810-2
TEL : 0598-21-0024
会費 : 月額1000円
お稽古は予約制で一対一の個人稽古で、日時はご相談の上決定します。
お稽古の詳細は、「お稽古の紹介」ページをご覧ください。
扇の画像

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