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楽女に訊く

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山村流に入門したきっかけ

本日は宜しくお願い致します。それでは、楽女師匠が山村流へ入門したきっかけをお話しいただけますか?


たまたま近所におどりの稽古場があったので、当時の女子の習い事として、5才の時に日本舞踊の稽古を始めました。習字、絵、ピアノなどの稽古もしましたが、すぐやめてしまってずうっと続けられたのがおどりでした。
12才の時から師事しました志賀山伊三丸師匠がとても芸熱心で、東京でも勉強されていて、おどりの技術だけでなく知識も広く、日本舞踊の奥深い魅力に引きずり込まれていきました。
その師匠が武原はんの舞に魅了され、地唄舞の良さを熱く語られました。その当時まだ何もわかっていない私は師匠の言葉に洗脳されていったのだと思います。 でも、その師匠は地唄舞ではなく、歌舞伎役者の中村雀右衛門に師事されて、女形の踊りにのめり込んでいかれました。
私は、それについていけず悩んでいた30才の頃上方舞の名人と聞いていた山村楽正師匠が、名古屋の朝日カルチャーセンターで地唄舞を教えられていることを知り、その講座に入りました。楽正師匠の舞台を見て感動し、こんな舞を自分も習得したいと思い楽正師匠に入門し、山村流の舞を初心に返って学びました。

一畳の空間でも表現できる

山村流は上方舞とお聞きしておりますが、その特徴とはなんでしょうか?


舞踊という語は 舞(まい)…まわる(旋回運動)と踊(おどり)…おどり上がる(跳躍運動)からなっていますが、日本舞踊は この二つの要素をもち、それがあいからみあってできています。
江戸(東京)を中心に発展した歌舞伎舞踊は大きな舞台で、派手な衣装を付け、おどりを主流としています。使用される音楽も江戸で好まれた長唄、清元、常磐津などが用いられることが多いのに対して上方(京都、大阪)で生まれた上方舞はまいを主流として座敷内で埃をたてない様に、また一畳の空間でも表現できるようにと工夫され、地元の音楽であった地唄(上方の盲人音楽家の手で育まれ伝承された三味線音楽)伴奏として用いています。
ですから、上方舞は東京おどりに比べて、能の動きに近く、腰を入れて、しっかりと構えて浮かないことを基本とし、「簡潔さ」「静けさ」を大切にします。
舞は、一般家庭とか廊の座敷で女性対象の舞として育ってきました。

どんな芸術も最初はさっぱり分からないもの

実はインタビューをさせていただくにあたり考えていたことがありました。
日本の伝統芸能である日本舞踊を私のような知識のない者が舞台を観覧しに行っても楽しめるポイントを教えてください(笑)


「衣裳は美しくセンスが良いか。音楽にのった動きをしているか。動線がなめらかで美しいか。何を表現しているのか。心に残るものがあったか」などをチェックしながら見るのはいかがでしょう?
どんな芸術も最初はさっぱり分からないもの。
でも、何度も見聞するとだんだんおもしろさが増す場合があるでしょう? 舞踊も同じです(笑)
日本舞踊は素人と玄人の分岐点がはっきりしていません。それぞれの舞台で、一人一人の観客が、自分の気に入ったところを見つけて、楽しんで頂きたいと思います。

料理も好きですよ(笑)

ところで、楽女師匠は舞のことを考えられている時間が多いかと存じますが、それ以外のお時間はどのように過ごされていますか?


60才くらいまでは、名古屋や大阪へ稽古に行き、舞台に出させて頂く機会も多かったので、舞以外は学校での勤務と塾で教えることと時間的な余裕はほとんどありませんでした。
70才になった今は、舞に関係したこと以外はほとんどしていないので、時間にもゆとりができましたね。
本(池波正太郎、アガサクリスティなどが好き)を読んだり、はやりの韓国ドラマの時代劇をテレビで見たり、自宅の小さな庭に花を植えたりしています。
美味しいものを食べに行くのが好きです。もちろん料理もやりますよ(笑)

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