はじめに
私は1945年三重県松阪市に生まれました。
たまたま近所に踊りのお稽古場があり、5歳の時に母に連れられて入門しました。
中村流と聞いていますが、「雲にかけ橋」、「羽根の禿」などのお稽古をしていたことをうっすら覚えています。
私が7歳になった時にその師匠がお亡くなりになられて、後を引き継がれた西川流の師匠につきました。当時のお稽古場には同年代の子どもがたくさんいて、お稽古よりも皆と遊ぶのが楽しかったようです。
お祭りになると屋台でよく踊ったものでした。
12歳になると、志賀山伊三丸師匠に入門し、1969年には志賀山碧と名乗らさせて頂きました。
元々自分の意志で始めた踊りではなかったのですが、他のお稽古事は習ってもすぐにやめてしまうのに、踊りだけは幼少期から大学受験、アメリカ留学、就職を経て英語塾の仕事しながらも、ほとんど中断もせずにお稽古場へ通っていました。
そして、現在まで
そして、時が経ち1975年のことでした。
山村流の山村楽正師匠の舞台に魅了され、求めていた踊りのように感じて、大阪の師匠宅と名古屋の個人稽古にも通いました。
1977年には、楽正師匠の取立てで山村流名取師範になりました。
その後、東京、名古屋、大阪、京都と多くの舞台に出演させて頂き、松阪市では隔年に門弟と共に、「楽女舞の会」を主催しています。
時が経つにつれ、舞の素晴らしさが少しずつ分かるようになり、自分が習うだけでなく、他の人にも伝えていきたいという思いが強くなってきました。
私は踊りの血筋でもなく、舞一筋で生きてきたわけでもなく、ただ好きというだけで家元のお力添えを得ながら師匠をしています。
まだまだ勉強せねばならないことだらけですが、一人でも多くの方が私と一緒に本物の舞を探求して下さり、舞を通じて人生を豊かにしていただければと願っています。